幸せの定義

ひとりごと

私は父方の祖父の顔を知らない。

遺影の写真は、戦後まもなくな感じの白黒写真で

幼い自分には怖くてたまらないだけのものだった。

だから、覚えていない。

祖父は、父が高校に入学する直前に他界したと聞いている。

それ以前も、病床に付し寝たきりだったらしい。

そんな祖父だから、青森の伯父は父親代わりとしてずっと家族を支えてきた。

家計を助けるために働き、自分の事は後回しで、

生涯独身で現在に至る。

80歳になっても元気で、妹の結婚式の時は長野まで出向いてくれた。

毎年、年末には大量の食料を送ってくれるし、

実家・妹家・弟家にそれぞれ10キロの新米も送ってくれた。

りんごが採れれば、それもまた大量に送ってくれた。

2年前、脳梗塞で倒れて運ばれ

数か月の療養を経て、退院した。

認知症が進み、歩行障害も現れ 施設に入所したのが去年だったかな。

独身な伯父だから、面倒を見てくれる家族はいない。

けど、近くに住んでる伯母のところの嫁さん(私のいとこの奥さん)が

いろいろと動いてくれている。

伯母が元気ならば、伯母がやってくれたのだろけれど、

これまた、伯母も施設に入所中だ。

申し訳ない気持ちはあるけど、遠方にいる我々にできる事には限りがある。

口出しをするつもりはないし、看てくれているだけでありがたいので

彼女がお世話をしやすい方法でよいと、伝えてある。

伯父の状態が悪化して、もろもろの説明を受け、

「延命治療はしないつもりだけど、いいかな?」と父に打診があった。

「それでいいよ」と答えたと、言っていた。

家族のために、自分の人生をささげた伯父。

その伯父を、献身的に支えてくれている、いとこの嫁さん。

その生き方を、「不憫だね」と言う人もいると思う。

私はそうは思わない。

たしかに、「幸せですか?」と聞いてみたいと思ったことはある。

でも、そもそも何が幸せで何が不幸なのかは

自分が決める事。

周りから見たら、ものすごく不運でも

本人が、「幸せだ」と思っているのならば、それは不幸ではない。

もう、多分私の事も分からなくなっているであろう伯父だけど

感謝の気持ちを伝えてきたい。

おじちゃんが頑張ってくれたから、父は自分のやりたいことが出来た。

だから、母と出合えて、私たちが存在する。

私たち家族がいるのは、おじちゃんのおかげなのです。

そんな風に思いを馳せる姪っ子がいることを、

「幸せだなぁ」と思ってくれたら… 嬉しいな。

問題は台風よ。新幹線、止まりませんように!祈るのみ。
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