4年経って、感じたこと

ひとりごと

令和3年3月25日

母は旅立った。

9年という闘病を終え、壮絶かつあっけなく逝ってしまった。

その時のことを、今でも鮮明に覚えている。

母の通院に付き添うのも、

治療に関して主治医と相談するのも、

医療の知識の無い両親に、分かるように説明するのも、

苦痛だと感じたことは、一度も無い。

実際は全然効いていない抗がん剤治療を

最後まで続けさせたことと、その意味を

私はずっと誰にも言わずにいた。

母の残り時間が、もうそんなに長くはないと感じられるようになってきた頃、

二人でいるときに

「そろそろ、そういう段階になってきたのかな」と、母がぽつりとつぶやいた。

状況については、話してはいなかったけど

本人は感じるところがあったのでしょう。

父の前で話せば、心配してオロオロするのも分かってるから

あえて、二人でいる時を選んだのだとも思う。

「今すぐ、どうこうという事は無いけれど。」と前置きをして

「そんなに遠くない未来ではあると思う。どうして欲しい?」と聞いた。

主治医から、在宅医療の話も聞かされていたから。

家でゆっくりと過ごしたいのならば、そうしたらいい。

そう思っていたのだけれど、

私の意に反して母は

「まだ歩けるし。病院に通いたいな」

と言った。

「分かった」

母の意思を尊重したかった。

なので、

「効いていなくて構わない。腫瘍マーカーの上昇も話さなくていい。

 病院に通い続けることで、前向きでいてくれるのならば

 このまま、ギリギリまで現状の治療を続けて欲しい」

そう主治医にお願いしたのは、私だ。

亡くなる前、救急車で病院に搬送し、

あまりの突然の事態に、理解の追いついていない家族の前で

対応してくれた先生と話をする中で、

その選択をしたことを、初めて語った。

その話を、聞いたのかどうかは分からないけれど

葬儀が終わり、一段落して自宅に戻ったとき

義妹からメールが来た。

「9年間、お義母さんを支えていただきありがとうございました。

 お疲れだと思います。ゆっくり休んでくださいね。」

それを読んで、母が旅立ってから初めて声をあげて泣いた。

4年経っても、その選択が正解だったのかどうかは分からない。

もっと、良い方法があったのかもしれない。

でも、

間違ってなかったよね?

と、墓前で聞いてみた。

もちろん、返事は返っては来ないけれど

相も変わらず天気に恵まれた墓参りになったことが

返事なんじゃないかな。

そんな風に思った、命日のお墓参りでした。

3月になった頃から、

当時のことを頻繁に思い出すようになった。

今までも、不意に思い出すことはあっても

ここまで鮮明に思い返すことは、

最初の1年くらいはあっても、そこまであるわけでもなかった。

ここのところの情緒不安定のせいなのか、

はたまた、思い出したから不安定になったのか。

それも答えは出ないけど。

何かを伝えようとしているのであれば、

受け取りたい。

そんな気持ちで手を合わせてみました。

私の気分が晴れ晴れとしていることが、答えでしょうか、ね。

前記事で、コメントをくださった方々。

ご心配おかけして、申し訳ありません。

非表示のままですが、読んでます。

気にかけていただき、ありがとうございます。

ちょっとずつですけど、

調子は上向きだと思います。

なので、大丈夫です!

「無理しないでね」って、かーちゃんにも言われてる気がするし。 
ゆっくり。でも、しっかり。前進あるのみ! 

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